静岡県浜松市のパーソンセンタードケアを目指す社会福祉法人ほなみ会が運営する特別養護老人ホーム「南風」です。

南風ブログ

わかってもらえなければ人は頑張れない

『若いころ、社会福祉の分野で職を得た私は、大段智亮先生の本を読みあさっていました。
いま振り返ってみると、それは仕事上必要だった対人関係の知識を学ぶためというよりも、自分の生き方を確かめるためだったような気がします。
じつは私の職場には大段先生のことを個人的によく知っている大先輩がいて、いつも先生のことを話してくれました。
それがきっかけとなって先生の著書に魅かれていったのだと思います。

この文章は、尊敬する大段智亮先生が援助的人間関係について語っている著書を参考・引用して、私の個人的感想を述べたものです。
といっても家庭の事情ですべての著書を手放してしまったので、書名も思い出せず、どこまでが正確な引用なのかも分かりません。
私が社会福祉の仕事を選んでから三十余年が経過しました。困ったときはいつも(お会いしたこともない)先生に支えられてきたことを感謝いたします。』

長期ケア施設で暮らしているお年寄りは「もう死にたい」とよく口にします。
あるいは、もっと遠回しに、「はやくお迎えが来てほしい」「はやくおじいさんの傍へ行きたい」とつぶやきます。
なかには、ニコニコしながら、まるで挨拶代わりのようにそう言う人もいます。

そのためでしょうか、施設のなかにはホールの壁に次のような言葉を掲示しているところもあります。
「八十でお迎えが来たら、まだ早いと言いなさい。九十でお迎えが来たら、そう急がなくてもいいと言いなさい …」

お年寄りがそう言うときは、やさしく声をかけ、いっしょにお茶を飲むと気分転換になることがあります。
問題なのは、深刻に、追い詰められたような表情で「もう死にたい」と訴える場合です。
たとえば、夜みんなが寝静まったときに、あなたが寝たきりの入居者からそう訴えられたらどうでしょう。
慰めや励ましの言葉を見つけることができますか?

施設で暮らしている寝たきりのお年寄りが、「こんなふうなら、もう死んだほうがましだ」と深刻な表情でつぶやいたとします。
それに対する職員の言葉として、以下の4つを考えてみましょう(以下の文章の一部は大段智亮先生の著書を参考・引用しています)。

職員1 「じゃあ勝手にしたら」
職員2 「なに言っているの、縁起でもない。生きていれば必ずよいことがあるわ」
職員3 「あなただけよ、そんなことを言うのは。まわりの人を見てごらん。みんな我慢して頑張っているのよ」
職員4 「つらいんだね。だから死にたくなったんだね」

以前、私がいろいろな施設や病院の職員にアンケートでたずねたところでは、ふだん多くの人が「職員2」「職員3」のように答えているようです。
もちろん「職員4」が正解らしい(?)とは思っているのですが(看護・介護の教科書には「傾聴」と「受容」と「共感」が大切だと書いてあるから)、実際の場面でそのように対応する人はごくまれです。

当然のことですが、そう思うか思わないかは別にして、施設や病院のスタッフのなかで「職員1」のように答える人は皆無です。
しかし家族のなかには、じかに面とむかって「そんなこと言うのなら勝手に死んだら」と告げる人がいます。
その場に居合わせると、どきっとする言葉です。
しかし、身体の弱った老親から毎日「死にたい」と訴えられ、介護を代わってくれる人がいない厳しい状況下で、家族がそう言いたくなるのも理解できないことではありません。
それは孤立無援の戦いを強いられている家族のせっぱ詰まった叫び声です。
それに比べて、施設や病院の職員は勤務が終われば自由になれるのです。
ですから、もしこんなことを口にする職員がいたとしたら大問題です。

それでは、つぎに慰めや励ましの具体例として「職員2」について考えてみましょう。
この発言には2つの意味が込められています。
一つは「なに言ってるの、縁起でもない」という言葉です。それは「縁起でもないことは言ってはいけない」というメッセージとなって相手に伝わっていきます。
ですから、そう言われたお年寄りは、それ以上なにも口にすることができません。
せっかく喉まで出かかったつらい気持ちを飲み込まなければなりません。それがどれほどつらいことか、想像できますか。

もう一つは、「生きていれば必ずよいことがあるはずだ」という言葉です。
これは他人に対して人生訓を垂れるのと同じことで、それ自体が問題を含んでいるのですが、はたして職員は心からそう思って言っているのでしょうか?
おそらく、そうではありません。
私たちはお年寄りが「死にたい」と言いはじめると、最後まで聞かないうちに相手の言葉を遮って、「大丈夫、大丈夫」「頑張ろうよ」と無条件に反応してしまう傾向があります。あたかも、お年寄りの言葉でとっさに不安になってしまった自分自身を励ましているかのようです。
これでは、どっちがつらいのか分からなくなってしまいます。

「職員3」の発言はどうでしょう。
「みんな頑張っているのだから、あなたも頑張れるはずだ」と言われて、それを慰めや励ましと感じる人がいるでしょうか?
母親が遊んでばかりいる小学生の弟にむかって、「あなたもお兄ちゃんのようにしっかり勉強すれば、よい成績がとれるはずよ。頑張りなさい」と言ったとします。
そのとき、弟はどう反応するでしょうか?
「そんなこと言ったって、ぼくとお兄ちゃんは違うのだから」と反発するに決まっています。
私たちは困っている人を励まそうとして善意でこう発言するのですが、他人と比較されて頑張る人はいません。

「職員4」のように、「つらいんだね。だから死にたくなったんだね」と答えると、どうなるでしょう?
こんなふうに言ってくれるのは(大勢の職員のなかで)あなただけです。
なぜなら、他の人は、「がんばれ!」「大丈夫!」としか言ってくれないのですからです。

相手が「つらい」と言ったら「つらいんだね」と答え、「死にたくなった」と言ったら「死にたくなったんだね」と答える方法と、相手が「つらい」と言っているのに「つらいことなんかあるものか」「大丈夫だ」「がんばれ」と答えたり、「死にたい」と訴えているのに「そんなことを考えてはだめよ」「生きていることに意味があるのだから」と答える方法では、その間に天と地の差があります。お年寄りはその違いを敏感に感じとり、だれが心底親身になってくれる職員であるかを知っていくのです。

「大丈夫、大丈夫」「がんばれ、がんばれ」と叱咤激励されず、「生きていることに意味がある」と説教もされず、そのつらさを無条件に受け入れてもらえると、その人は自由に感情を表出することができるようになります(バイスティックの『ケースワークの7つの原則』にも、この感情表出の大切さが述べられています)。
もしかしたら感情が高ぶって、泣き出してしまうかもしれません。そして、最後には言葉を失い、しばらく沈黙してしまうでしょう。

深刻な場面で沈黙が続くと、私たちはどうしたらいいか分からなくなっていきます。
その緊張感と苦しさに居たたまれなくなってしまいます。
そして沈黙の重さに耐えきれずに、私たちのほうから「大丈夫、大丈夫」「がんばれ、がんばれ」と余計なことを口走ってしまうのです。

相手が沈黙したとき、私たちに必要なのは、黙ってその場にいてあげることです。これには勇気がいります。
神学者のポール・ティーリッヒは、その場に居続けることを「存在する勇気(the courage to be)」と呼んでいます。
もし可能なら、泣き黙ってしまったお年寄りの手をとり、肩を抱いてあげるとよいでしょう。

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余談ですが、ちなみにハムレットもこの「存在する勇気」と似た科白を口にしています。
「To be, or not to be, that is the question」
ふだん「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」と訳されるこの言葉は、
「このままここに居続けるべきか、それとも居続けざるべきか、それが問題だ」
と訳すことも可能です。
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「死にたい」という思いにとらわれて泣き出してしまったお年寄りも、いつかは泣きやみます。そのとき、その人の気持ちはずっと軽く(楽に)なっているはずです。
そして、ふと、目の前にいるあなたに気づいて、こう言うでしょう。
「あなたって、いい人ね。あなたみたいないい人がここに居るのだったら、わたし、もうちょっと頑張ってみるわ」と。
そのとき初めて、私たちは、「そうだね、いっしょにがんばろうね」と言ってあげられるのです。
このときの「がんばろうね」という励ましの言葉は、かならず相手の心に届きます。
なぜなら、その人が自ら「がんばりたい」と言っているのですから。

つらい立場にいる人は、ひとりでは生きられません。
真っ暗な、ひとりぼっちの世界に置かれているからです。
しかし、本当に理解してくれる人が一人でもいたら、その人は生きられます。
なぜなら、もうひとりぼっちではないからです。
そこには良い人間関係が存在しています。
この温かい人間関係をとおして、心のなかに、生きるエネルギーが徐々に湧いてくるのです。

こうしたことは、その人の悩みをそのまま受け入れてあげることから生じます。
悩みに共感し、それを受容することが大切です。

私は、ふだんの仕事のなかで、お年寄りから「あなたにわかってもらってうれしい」と言ってもらえるような、そういう人になりたいと思っています。

私たちが取りくんでいる「ケア Care」」には、他者を気づかい、思いやるという意味が込められているのです。

 

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