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5 お返しができなければつらくなる

私たちの社会には、人にものを贈ったり、人からものを貰(もら)うという慣習があります。その代表はお中元とお歳暮です。なかには「無駄だから止めましょう」と反対する声も聞こえるが、まわりを見ても止める気配がありません。それもそのはず、贈り物は経済に貢献しているだけでなく、それによって私たちは微妙に他人との付き合いのバランスをとっているからです。他人との関係のなかで暮らしているかぎり、止めることは不可能です。人からものを貰って返礼しなかったら、なんて言われるかわかりません。「変な人だ」と思われるのは軽いほうで、「風上にも置けない」とまで睨まれたら生きていくのがつらくなります。

このように贈り物には魔性が潜んでいます。ものを貰うと気持ちが委縮し、返すまで落ち着きません。ものを貰うと相手よりも自分の立場が下がったような気がするので、早く返して対等の人間関係をとり戻そうとする心理が働くのです。

お正月に、思いがけず、職場の同僚からたった一枚の年賀状(値段は50円)を貰っただけでも気分がふさいでしまいます。仕事始めまでに返事が届かなければ、言い訳を考えなければなりません ― 「昨日、スキーから戻ったら、あなたの年賀状が届いていたのでびっくりしたわ。申し訳ないけど、すぐに返事を書くので、二三日待ってください」と。

貰えば自分の立場が下がり、あげれば立場が上がります。いつも貰うだけの人は人間関係が切れていきます。それが許されるのは子どもだけです。だから子どもはお年玉を貰っても返しません。しかし大人は返さなければなりません。どうやら私たちはこんな掟のなかで暮らしているようです。

高齢者施設だって一つの社会です。世の中にあることは、ここにもすべてあります ― おそらく、もっと凝縮したかたちで。

日ごろ、施設の入居者たちはものを受けとる立場にいます。ここで言うものとは、食事介助、入浴、トイレ、散歩、言葉かけなど、職員が提供するサービスのことです。

だから入居者たちはつねに感謝します。「こんなに親切にしてもらって申し訳ない」と。なかには両手を合わせる人もいます。だからといって職員が偉いわけではありません。彼らは、ある意味では、つらいと言っているのです。いまのお年寄りは、他人の恩に報いることを教えられてきた世代です。ゆえに、感謝の気持ちを表すために(その申し訳なさを解消するために)彼らはお礼を考えます。

家族が面会に来てくれたとき、一人のお年寄りが、「いつも親切にしてもらっている職員にあげたいから」と、駅前の百貨店でおいしいお菓子を買ってきてほしいと依頼します。もちろん家族も同じ思いだから、すぐに買ってきます。そして一緒に職員のところへ持っていきます。「これ、みなさんで食べてください。いつも親切にしていただいているお礼です。」すると職員は、(本当は素直に貰ってあげたい気持ちもあるのだが)規則に反するからと断ってしまいます。貰えば上司から叱責されるのが目に見えているからです。押し問答のすえ、家族はそのお菓子を持ち帰ることになります。そして「こまったねえ。どうしたらいいのかしら」と更につらい気持になっていきます。ことの善し悪しは別にして、このやり取りは入居者や家族にとって、ある種のいじめと同じです。

   [余談ですが、ある施設の職員からこんな話を聞いたことがあります。お菓子を持参した
    家族が職員から受け取りを拒否され、困りはてた末に、「それじゃあ、ごみ箱にでも捨て
    てください」と菓子箱をカウンターに置き去りにしたところ、翌日、その家族のところに宅
    急便で菓子箱が送り返されてきたそうです。]

拒否されても、その人は職員にお返しをしたいという思いで一杯になっています。だから、何か別の方法を考えなければと知恵をしぼります。そして思いつきます ― となりにいる車椅子の人を助けてあげれば、少しは忙しい職員の役に立つかもしれないと。こうしてその人は、おぼつかない足で仲間の入居者の車椅子を押してあげます。それなのに、それを見つけた職員から、「だれがそんなことを頼んだのですか。転んだら私たちの責任よ。余計なことをしないでね。静かにしていてくれるのが一番だから」と、またしても冷たい言葉が返ってきます。どうしたらいいのだろう。いつも親切にしていただいている申し訳なさをお返ししたいだけなのに。

じつは入居者たちは職員にお返しをしているのですが、それが両者の目には見えません。入居者たちは介護保険料を払いつづけています。そのお金は国を経由して施設へ入り、そして給料のかたちで職員へ渡されます。毎月の施設利用料だって同じ仕組みです。彼らが支払ったお金が最終的には職員の手元に届いているにもかかわらず、職員も入居者もそれがわかりません。

もっと直接的なかたちで入居者から職員へお金が渡っていけば、入居者の気持ちも違ってくるでしょう。たとえば施設利用料の1割自己負担分を、「はい、この千円は入浴介助のお礼です」「はい、この五百円は食事介助のお礼です」と、サービスを受けるたびにじかに職員に手渡せば、その人の申し訳なさも和らいでいくかもしれません。

なにはともあれ、みんなが施設で心安らかに暮らすためには、入居者たちのお礼の気持ちを受け取ってあげることが大切です。もっとも良い方法は、お菓子に代わる別の方法でお返しできる機会を作ってあげることです。それが役割の提供なのです。

役割には、食事づくりに参加するなどの生活上の具体的なものもあるでしょう。あるいは、寝ているだけの人であっても、「あなたがいてくれるだけで、みんな励まされているのよ」という見えない役割もあるでしょう。豪華な外観と設備をそなえた施設が立派なのではありません。職員と入居者の間で上手にお返ししあえる循環システムを作り上げた施設こそが立派なのです。

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